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2017.06.01

勉強とスポーツは同時にやれない。ただ、モードを切り替えて集中するのは得意だった──ヤフー新執行役員CDO佐々木潔の素顔に迫る

佐々木の写真

社内ではいつも半袖シャツ姿で勤務する。真冬でもダウンの下は半袖Tシャツ1枚。精神的にも物理的にも熱量が多い人なのか。新入社員から経営トップまで、いつも人と話すときは笑顔。彼が怒った顔は見たことがない。

佐々木潔・44歳。ヤフーのCDO(チーフデータオフィサー)として、膨大なユーザーデータをビジネスにどう生かすか、日本の産業再生にどう生かすかを考え続ける。

2017年4月、執行役員に就任した。彼の笑顔の奥にあるものは何なのか。エンジニア・経営職としての原体験をたどった。

海外のプレイブックを徹底的に解析し、チームを改造

10代から20代の経歴をみると、開成高校→東大工学部→富士通という理系のエリートコースだが、本人は勉強よりスポーツに打ち込んでいたのだという。

「全然、勉強しなかったんですよ。高校時代はハンドボールとか応援団に打ち込んでいたし、結局、1浪して東大に入ったものの、学部時代は授業じゃなくて、体育会アメリカンフットボール部のグラウンドに通っていたようなものです」

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▲執行役員 データ&サイエンスソリューション統括本部長 チーフデータオフィサー(CDO) 佐々木潔

当時の東大アメフト部は関東学生リーグの一部にいて結構強く、佐々木は司令塔のクォーターバッグを任されていた。

ただ、その頃──80年代後半から90年代中盤にかけての京都大学は強く、甲子園ボウル(大学選手権)6回優勝、ライスボウル(日本選手権)4回優勝など、輝かしい成績の黄金期。しかし、その京大が6度目の甲子園ボウル制覇を達成した年の、東大・京大定期戦では、当時4年生の佐々木らが率いる東大が京大を破っている。これが今でも自慢だ。

「運動部というのは毎年代が替わります。僕らが1~2年生のときは上級生が結構厳しくて、常にトップダウンの指示。下級生は萎縮してしまって、僕自身練習に行きたくないと思うときもありました。

結局それでは結果が残せなかったこともあり、僕らが3年生になった時、当時の4年生がこの上意下達の構造をガラッと変えたんです。上からの指示命令を待っていただけでは、選手は力を伸ばせない。やはり、ボトムアップが大切なんだと。

僕を含めた4人でアメリカの大学のチームに短期留学をして、そのプレイブック(戦術書)をもらってきて、これを徹底的に解析。それを下級生も含めて共有したんです。成果はたしかに上がりましたね」

チームの雰囲気をボトムアップで変えて成功した経験は、実はヤフー入社後にも生かされているのだが、その話はまた後のことだ。

修論は「露天掘り鉱山の最適化問題」

東大工学部時代の専攻は地球システム工学科(現・システム創成学科)で、大学院修士課程は岩石工学研究室に所属していた。

「このとき、マイニングを研究していたというと、データ・マイニングですかって聞かれるんですが、違うんです。マイニングはマイニングでも、もともとの意味の鉱山採掘。露天掘り鉱山の最適化問題というのが修論のテーマで、良質の鉱石を効率よく採掘するにはどういう順番がいいかみたいなシミュレーションを、コンピューターを使ってやっていました」

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この頃に実習で触れたコンピューターが結局、天職となる。

「他の授業は出ませんでしたが、実習は代返ができません。仕方ないので、とりあえず行ってみたところ、PascalやFORTRANのようなコンピューター言語の仕組みがすっと頭に入ってきて、すぐにプログラムを書けたんです。これは自分に向いているのかなと思いましたね」
学部時代はほとんど授業に出ず、「成績は最低クラス」だった佐々木だが、このままでは何のために大学に行ったのかわからないと、修士課程に進学し、この2年間は徹底的に勉強した。成績は2年間を通してオールA。これも佐々木のひそかな自慢の一つだ。

「勉強とスポーツを両立させるというような、二つのことを一度にこなせないタチなんですよ。ある時期はスポーツに熱中。次の年はスッキリ頭を切り替えて勉強に集中」

高校3年間と大学学部時代は運動モード。大学受験期と修士課程は勉学モード。スイッチの切り替えを無意識のうちにやりこなしている。佐々木の集中力はハンパではないようだ。

MicrosoftのWindowsチームに出向。世界を肌で感じる

研究室から推薦をもらって、就職先は富士通。Windows98が登場した1998年のことだ。

OB訪問のときからの「OSをやりたい」という希望が叶い、PC向けのWindowsサーバーOSの開発部隊に配属。デバイスドライバやパッケージングの開発にあたった。

入社後すぐMicrosoftに出向となったのは、それだけ将来を嘱望されていたからだろう。

「レッドモンドにあるMicrosoft本社です。日本のコンピューターメーカーでは、Windowsのテストチームに人を送る企業はありましたが、その当時、OSのコアテクノロジーの開発部隊に人を送る企業はほとんどなかったと思います。いきなりPCの世界のトップエンジニアたちと机を並べることができた。これは得がたい体験でした」

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2000年から2003年までの3年間をアメリカで過ごし、帰国後もWindows関連の仕事で2004年まで、富士通には都合6年間在籍したことになる。

「自分の性分として、関わった技術やビジネスについては全部知りたくなるんです。コンピューターの仕事を始めたときも、コンピューターってどうやって動くかを全部知りたかった。

CPUはそのときどんな命令を出していて、メモリはデータをどんなふうに配置するのか。それを理解するためには、アプリケーション層でなく、OS層から入ったほうがいい。そう考えてOS周りを選んだんです。

そのうち、ビジネスの構造にも興味を持つようになりました。会社ってどういう組織で構成されているのか。どこをどう動かすと組織が活性化し、ビジネスが革新されるのか。これも上部から入ると全体像が見やすくなる」

そう考えて選んだ転職先が、小さなコンサルティング・ファームだ。内資だが、社長は在日のスペイン人だった。ここの2年間で経営の基本を徹底的に学び、製造業の経営改革などに取り組んだ。

OSの構造といった技術の深層レベルから、経営革新のプロセスまでを同時に理解できる。

現在の執行役員のベースはこの時代に培われたとも言えるのだが、しかしコンサルティング・ファームでの仕事ぶりは、そう楽なものではなかった。月曜の出社のことを考えると胃が痛くなる、つらい日曜日が待っていたのだ。(第2回に続く)

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