ヤフー株式会社は、2023年10月1日にLINEヤフー株式会社になりました。LINEヤフー株式会社のコーポレートサイトはこちらです。
当ページに記載されている情報は、2023年9月30日時点の情報です。

2022.09.30

ヤフーの「社会人ドクター進学支援制度」で博士号を取得──デザインの良し悪しを科学的に立証する「ミクロUX」とは

ヤフーの「社会人ドクター進学支援制度」を利用して大学院にて博士号を取得したデザイナーの鈴木健司。前回の「ヤフーの社内制度で博士号を取得したデザイナーに聞く──なぜ、デザインを科学的に立証する研究に挑んだのか」に続き、大学院入学後の研究テーマやコロナ禍での実証実験の舞台裏、UX改善を科学的に立証する「ミクロUX」について語ってもらいました。

プロフィール

鈴木のプロフィール画像
鈴木 健司
CTO CTO室 アプリ統括部 研究開発
新卒入社後、PIM系やSNS系サービスのインタラクションデザイン、ビジュアルデザイン、フロントエンド開発、ディレクション等の業務を経て、2015年よりユーザインタフェースの研究開発業務に従事。2022年に北海道大学大学院情報科学研究科情報理工学専攻を修了。博士(情報科学)。インタラクションデザインを専門とし、特に入出力インタフェースに関する研究を行っている。

コロナ禍で実現できなかった、地下空間でのナビゲーション実験

大学院入学後、鈴木らには新しい研究テーマが生まれていました。スマートフォンで地図アプリを使う際に、GPSで自分の現在地を示しながら道案内をしてくれる屋内ナビゲーションの研究です。鈴木らはこれを「SCAN」と命名しました。

「屋内ではGPS電波が届きづらいですよね。地下街にはたいてい構内案内図がありますが、移動しながら見られるものではないから、すぐに迷ってしまう。もし、ユーザーが撮影した案内図の画像にユーザーの現在地を表示させ、移動方向を示すことができれば、GPSを用いたナビゲーションと遜色のない体験を提供できるはずです」

「SCAN」では、ユーザーはスマホ以外の特殊な機器を必要としません。地図を掲示する施設側も、地図の縮尺さえ正確であれば、特に仕掛けを施す必要はありません。ユーザーが撮影した地図は端末内で処理が行われ、地図上の現在地を算出し地図上に表示します。そしてスマホの加速度センサーなどを用いて移動量を取得して現在地の更新を行います。

実際にヤフー社員数人をモニターにした実験が、紀尾井町本社オフィス内で行われました。

「実際にSCANを用いて屋内地図を撮影し目的地への移動を行ってもらい、その様子を観察しました。そしてGPSを用いた地図アプリケーションとの使用感との簡易比較を行いました。その結果、ナビゲーションの精度や実装上の大きな問題は見つからなかった。これは使えそうだなという感触を得ました。そこで、札幌の地下道でより規模の大きな実験をしようと計画を立てました」

鈴木さんのトーク中画像
▲CTO室 アプリ統括部 鈴木 健司
冬季の札幌は雪におおわれるため、季節や天候に左右されず、誰もが安全・快適に移動できるように、JR札幌駅から地下鉄すすきの駅までは「札幌駅前通地下歩行空間」で結ばれています。地下空間の南北の長さは約1.9kmもあり、直線距離において日本一と言われています。そこで数十人の学生モニターを集め、「SCAN」を使った歩行実験を行う計画を立てました。

しかし、2019年初頭に予定されていた実験は、札幌でも急速に広がったコロナ禍により中止を余儀なくされました。これが、大学院生活のなかでの最大の心残りだと、鈴木は言います。

「コロナ禍前は毎月札幌に行っていましたが、コロナ禍以降はゼミもすべてオンライン。研究発表の後に教授や学生同士でワイワイと感想を言い合う、そんな大学院生活を想像していたので残念です。それでも、若い院生たちの発表には刺激を受けることがあり、私の研究テーマを聞いて、自分の研究のヒントになったと言ってくれる学生もいましたので、双方向のコミュニケーションはとれたと思います」

コロナ禍の影響はあったものの、鈴木は紀尾井町での実験をもとに、学会論文を書き上げています。社内実験を再現した「SCAN」のデモンストレーションは、2019年の「MobileHCI 2019」でベストデモ賞を受賞しました。

「MobileHCI 2019」イベント中の様子
「MobileHCI 2019」で「SCAN」の講演を行い、ベストデモ賞を受賞

「ミクロUX」のモデル化が、デザイナーの活躍の場を広げる

社会人大学院生としての北海道大学進学は、最終的に博士論文の執筆、博士号の取得が目的です。これを3年でやり遂げると鈴木は心に決めており、博士論文のテーマも明確でした。

博士論文では、2014年の「Fix and Slide」、2018年の「Pressure-sensitive Zooming-out Interfaces for One-handed Mobile Interaction」そして2019年の「SCAN」の実験結果をそれぞれ各章で述べながら、これらの実験を通して確立したいのは、サービスのUXを改善するために、UXをミクロな視点で捉える手法だとしたのです。

「企業の各種サービスのUXの改善を試みようとすると、どうしてもサービス全体を俯瞰しながら取り組むことが多く、話が大きく複雑になりやすい面があります。工数も増えるので、そう簡単には変えられない。重要性は理解してもらえたとしても、コストの面で難しいことから、改善に着手できないことを私も何度も経験しています。研究開発の新規性・有用性も大事ですが、導入のしやすさも同時に踏まえておくことが非常に重要だと思うようになりました」

だからこそ、UXの改善にあたって、サービス全体に影響を与えうる問題点をピンポイントで抽出し、それを小さく早く改善できるアプローチが有益なのではないかと、鈴木は強調します。

「それを私はサービス全体の体験を俯瞰するマクロなUXに対し、それを構成する微視的なUXとして“ミクロなUX”と呼ぶことにしました。これまで取り組んできた研究を実例に、ミクロUXのアプローチをモデル化することができれば、それはヤフーのような膨大なサービスを日々運用している組織、特にデザイナーには有用だと思ったのです」

鈴木さんのトーク中画像
実際、売り上げのKPIとデザイン追求のはざまで日々苦しんでいるデザイナーは少なくありません。そこに業務と並行して進められ意図と効果が明らかなデザインを創出できるようになれば、現場でも説得しやすくなるはずだというのが、鈴木の博士論文の主題です。

鈴木はこの「ミクロUX法」について「小さく早いUXの改善を試みる。また、改善施策は複合的なデータから科学的に評価を行い、操作時間の短縮や操作回数の低減など、どのような改善が行われたUXであるかを明確にする。こうすることで改善施策とKPIの影響の因果関係が明確になり、反復的なKPIの改善計画の重要な指標になることが期待できる」と語っています。

つまり、鈴木はテキスト入力インターフェースにおける「Fix and Slide」など、自身の発明の価値を高めるためではなく、今後のヤフーや業界のデザイナーのUX提案活動に資する新しいモデルを確立するという狙いで、博士論文を執筆しようと考えたのです。それはまさに「研究成果による自社貢献」という社会人ドクター制度の狙いにも合致するものでした。

「ヤフーにはデザイナーだけでも数百人規模で在籍しています。インターネット企業でこんなにもデザイナーが多数いる会社はあまりないと思いますが、仮にその1割がこのアプローチを実践してくれたら、多くの成果が得られると考えています。それはサービス自体の改善に繋がるかもしれませんし、科学的に効果が明らかなデザインパーツは他サービスでも流用が容易になるメリットもあります。私一人だけでは、年に数個しか着手できません。しかし、多くの人が実践してくれればくれるほど、多種多様なシーンに対応できるさまざまなデザインパーツが生まれるのではないかと考えています。ですので、こうした手法を確立して、みんなに伝えられるようにしたかったのです」

予定を延長した大学院生活。寝食を惜しんで博士論文を執筆

ただ、3年がかりの博士号取得計画も、札幌の地下道実験ができなくなったために、修整を余儀なくされました。論文の構成を見直さざるを得なくなり、そのために大学院の研究計画を半年間延長することに。

実際の博士論文執筆に着手したのが、2021年9月。その頃は大学のゼミだけではなく、会社も完全リモート体制に変わっていたので、自宅での論文執筆でした。

「翌年1月の公開論文説明会が迫ってくるにつれて、だんだんと焦りがでてきました。通勤時間がゼロになったので、その分は執筆にあてることができた。とはいえ、本来の業務もあるため、定時は仕事に集中し、夕方から深夜まではひたすら論文を書いていました。食事をする時間も惜しんでいましたね(笑)」

社会人ドクター制度では半期ごとに、担当部署に研究の進捗を報告し、次の半期の更新申請を行うことになっています。ちょうど次回の更新のための面談が、博士論文の審査発表、つまり博士号が取得できるかどうかがわかるタイミングに設定されていました。

「会社の面談の前には結果がわかっているのですが、もし博士論文が合格しなかったら、もう半期の延長をお願いするかもしれませんと、少し弱気に伝えていました。各段階で行われた審査会での教授陣の指摘点への対応が本当に難しく、しかし確かに解決しないといけない問題で四苦八苦していました。上手くいく保証はないけど進むしかないギリギリな状況だった記憶があります」

鈴木さんのトーク中画像
幸い、2022年1月の審査会で論文はパスすることができました。念願の博士号、ヤフーの社会人ドクター制度においても二人目の博士の誕生です。

「3月の修了式には、約2年ぶりに札幌に行きました。博士になれてうれしかったというより、無事終えられた安堵感と坂本先生に言われた「これから博士が始まる」という言葉に身が引き締まったのを思い出します」

モデルを実装し、KPI改善につなげる。次を目指すデザイナーに期待

鈴木に、ヤフーの業務に博士号取得にいたるまでの研究成果をどう生かしていきたいのかを尋ねました。

「博士論文を通して、私なりのミクロUXというモデルは確立したので、今後はこの理論に沿った提案を実践していくつもりです。これまでの研究と実践を通じて、ある程度の方向性は見えてきました。この取り組み自体も小さく早く行い、成果を上げていければと思っています」

もう一つ、スマホアプリの視覚的な読みやすさの研究も進めており、誰もが読みやすいフォントサイズや行の高さをモデル化する試みなのだとか。

「デザイナーが読み物のページを作るときに、どうしても迷うのが読みやすさ。そういうときに、何をポイントにしたらよいのかというサジェスチョンを科学的な研究データを添えて示すことができれば、デザイナーの業務をより効率化できるし、ユーザーにとっての最適解も得られるはず。実験はひととおり終わったので、今はこの理論をサービスに導入した結果、KPIにどう貢献できたのかを一緒に研究しましょうと事業サイドに売り込みをかけているところです」

こうした研究業務を一緒にやってくれるデザイナーがいたらうれしいと語る鈴木。研究を通して、アカデミックな領域に彼らの関心が広がれば、そのときこそが大学院進学のチャンスだと言います。もし自分に続いて、大学院に進学したいと考えている人たちが現れたら、鈴木はどのようなアドバイスをするのでしょうか。

「その研究分野に関する最新動向を知っておくことは欠かせないと思います。『こんなアイデアがひらめいたから、論文にしよう!』と思ったら、実は10年前に先を越されていた、なんてことはザラにある世界です。なので、動向を知ったうえで最先端を切り開く。そういうモチベーションは欠かせません。もちろん、取り組む研究のテーマを明確にしておくことは大前提です。普段の仕事のなかでも、常に課題を発見する姿勢は必要です。当たり前を疑い、問題意識を持つ癖をつけていれば、新しい道は必ずひらけると思います」

鈴木さんのトーク中画像
仕事と研究を両立させながら、博士号取得を目指すのは大変な負担もあります。それを跳ね除けた原動力は何だったのか。

「私の場合は、世の中をもっと良くしたいという情熱が根底にありました。インタラクションを少し変えるだけで、多くの人の効率性を飛躍的に高める可能性がある。私はこうした多くの人の生活を豊かにしえるインタラクションデザインを実践していきたいと考えています。こうしたことを実現しているデザインはとても美しいと感じますし、自分も生み出せるようにこれからも学び続けたいと思います」

美しいものを生み出す情熱——まさにデザイナーらしい一言が印象に残りました。鈴木が情熱をかけた研究成果が、ヤフーサービスのUXデザインをより向上させていくことに期待が高まるばかりです。

関連記事

このページの先頭へ