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2017.06.22

コアテクノロジーにより近くへ。日米を股にかけた「転戦」の日々──新執行役員・佐々木潔CDOの素顔に迫る

2017年4月、執行役員に就任した佐々木潔。社内ではいつも半袖シャツ姿で勤務する。真冬でもダウンの下は半袖Tシャツ1枚。新入社員から経営トップまで、いつも人と話すときは笑顔。彼が怒った顔は見たことがない。

彼の笑顔の奥にあるものは何なのか。エンジニア・経営職としての原体験をたどる連載第2回は、コンサルティング・ファームに転職した佐々木の苦悩、転機となったシリコンバレーでのチャレンジについて語ってもらった。

日曜夜になると、翌日の出社が嫌になるほど悩んだ

「日曜日の夕方になると、だんだん憂鬱になるんです。ああ、もう休みも終わりか、明日からまた会社か、つらいなあって」

ビジネスや企業組織の構造とその改革プロセスを全体的に理解するために、6年勤めた富士通を辞めて、あえて選んだ小さなコンサルティングファーム。しかし、その仕事は楽なものではなかった。

それまで、そしてその後も、仕事ではめったに弱音を吐くことのなかった佐々木だが、このときばかりはブルーマンデー症候群を発症しかけていた。

「顧客企業からすると、すべてがわかる経営のプロが来ると思っているわけでしょう。しかし、こちらはコンサルタントになったばかりの、まだまだ若造です。顧客先で経営層と対面しても、なかなか説得力のある話ができない。会社に帰れば、当然ですが上司からは高いレベルでプレッシャーをかけられる。つらかったですね」

佐々木の写真

「2年間の勤務を通じて経営に関するノウハウを吸収するとともに、やはり、自分はモノをつくるほうが好きだとあらためて思いました。

もちろん、その会社にはすごく感謝しています。物事を分析する手法、プレゼン資料作成の勘所など、徹底的に教え込まれました。この時期の経験がなかったら、いま同じことはできないと思います」

プログラミングやシステム開発の現場であらためてモノづくりをしてみたい。そう考えて移ったのが、ミラクル・リナックス社だ。

Linux OSのディストリビューション開発など、オープンソースのソリューションを提供するITベンダー。2000年に日本オラクルなどが出資して設立された。

もともとOS開発に携わりたくて、IT業界に就職した佐々木であった。

「富士通時代のMicrosoft出向で、Windowsのコアテクノロジーに触れた。もう一つUNIX系のOSを究めたら、OSエンジニアとして怖いものはなくなる」という、彼なりのキャリア戦略があった。望みどおり、Linuxカーネルのコアテクノロジーに関わり、部長職も勤めた。

佐々木のテーブルで組んだ手のアップの写真

ただ、Linuxディストリビューターとしては、Red Hatの勢いに押されがち。独自色を出すのに苦労した2年間だった。

ちなみに、ミラクル・リナックス社は2014年7月にはソフトバンク・テクノロジーが子会社化している。旧知のエンジニアとは、今はソフトバンクグループの仲間として出会うこともあるという。

英語コンプレックスを克服すべく、シリコンバレーへ

佐々木は2008年に米国の Yahoo! Inc.に転職する。富士通時代のMicrosoft出向も含めて、都合5年もの米国生活経験があるため、英語力は抜群と思われがちだが、本人いわく、「中学生時代から、からきしダメ。今でも苦手意識は抜けない」という。

英語が嫌いな理由も個性があらわれている。

「中学生になってApple、Pencilとか英単語を覚えるわけでしょ。そのとき僕は思ったんですよ。なんで語尾の発音は同じなのにAppleは“le”で終わるのか、Pencilは“l”だけで終わるのかって。全然規則性ないじゃないですか。しかも、その不規則なものを何百何千と覚えなくちゃいけない。そんなの不合理だ。僕には無理だって」

佐々木の写真

それで英語は“捨て教科”になった。もちろん開成高校や東大に入学できるだけの学力はある、という前提での話ではあるのだが。それにしても、コンピュータープログラミングも基本は英語を使うではないか。

「いや、ifとかthenとかは一種の記号ですから。しかも全体がきわめて規則的な体系でできている。文法さえ覚えれば、すぐ書けるようになる。僕には、どんなコンピューター言語でも2日もあれば覚えられる、という自信はあるんですけどねえ」

つまり、文化的・歴史的背景を背負って発展してきた英語のような自然言語は複雑怪奇に見えるが、コンピューター言語のような人工言語はきわめてシンプルに見えるということだろう。その意味で、佐々木は典型的な“理系脳”の持ち主なのかもしれない。

それはともかく、英語は佐々木の唯一のコンプレックスではあった。実はYahoo! Inc.への転職は、そのコンプレックスを払拭するための手段でもあったというのだ。

「アメリカで仕事をすれば英語がぺらぺらしゃべれるようになるというのがMicrosoft本社出向を志願した隠れた理由の一つだったんですが、Microsoftでの直属の上司は日本人だったんで、あまり英語をしゃべらなくて済んだんですよ。

もちろん僕も頑張りましたよ。でもぺらぺらにはなれなかった。そこで思ったんです。Microsoftは出向だったからしゃべれるようにならなかった。

だったら、アメリカ企業へ正式に就職したらきっとしゃべれるようになるはずだって。英語を駆使して世界をまたにかけて働くビジネスマンへの憧れは、僕にだってありましたからね」

佐々木の写真

だから転職先は、Yahoo! Inc.である必然性はなかった。実はこのとき佐々木はGoogleをはじめ、シリコンバレーのベンチャー企業もいくつかトライしている。Yahoo! Inc. を選んだ理由は、「シリコンバレーのトップエンジニアと一緒に、一番ガチエンジニアの仕事ができそうだった」からだ。

もちろん米国企業の面接は英語で受けた。

「気合いでクリアしました。英語は下手だけれど、これから頑張るからよろしくって。むこうからしたら、究極のポテンシャル採用ですよ(笑)」
とはいうものの、Windows OSやLinuxカーネルなどコンピューターのコア技術を熟知しているという彼のプロフィールに、Yahoo! Inc.もGoogleも可能性を感じていたのはたしかだろう。

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