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2017.03.02

携帯・スマホからインターネット。ヤフーにいたからこそできたこと──ヤフーCMO・村上臣が語るモバイルインターネット

村上の写真

自ら創業メンバーに加わったスタートアップがM&Aされたことをきっかけに、村上はヤフーにジョイン。事業のモバイル化を一身に担うようになる。

通信キャリアのマネージャーたちを相手に、孤軍奮闘せざるをえない時もあった。そしてスマホの時代を迎える。彼の努力は報われたのか。

エモい部分に届かなければ、成功しない

ITサービスの企業が、モバイルインターネット時代に勝つための条件。それを2000年当時の村上はどう考えていたのだろう。

「PCでできるのと同じことが、携帯電話でもできることは当たり前。特に速報性・即時性を必要とするコンテンツは、手元の端末から見られるようにしなければならない」

ただ、PCでインターネットするのと、携帯でインターネットをするのは、どこか違う。村上が注目したのは、いわゆるマッチングサービスだ。

電脳隊が受託開発したEZweb公式サイトであったマッチングサービスは村上らの想像以上にヒットしていた。マッチングサービスで知り合って結婚するカップルは「ネット婚」などと呼ばれていた。

「PCはもともと生産性や効率性を増幅する文具の延長として発展してきたもの。ところがモバイルは電話の延長。Peer to Peer(ピア・トゥ・ピア)のコミュニケーションツールなんです。そもそも生まれが違うし、人との距離感も違う。人の感情や気分、いわゆる“エモい”部分に届かないとモバイルインターネットはサービスとして成功しない」

そんな確信が生まれていた。

村上の写真

村上らPIMから移籍したメンバーは、新設されたEverywhere部というところに配属された。ヤフーのさまざまなコンテンツやサービスを、EZwebやiモード向けに移植するのが当面の使命だった。

村上は移籍当初の四半期で、Yahoo!グルメ、Yahoo!ファイナンス、Yahoo!メールのモバイル化を進めた。今振り返ればものすごいスピードだ。

2002年に開かれたFIFAワールドカップ日韓大会の期間中、試合経過などをリアルタイムに速報するiモードの公式サイトも、村上らが作ったものだ。相当なPVを稼ぎ出し、関係者を驚愕させた。

板挟みの中で身体に変調をきたしたことも

国内で携帯電話によるインターネット利用者が、PCのそれを上回ったのは2005年末のことといわれる。携帯インターネットの普及スピードで日本は世界に先駆けた。

村上が夢にまで見たモバイルインターネットの時代が目の前にやってこようとしていた。しかし、それは村上に新たな試練をもたらすことにもなる。

2006年、ボーダフォン株式会社を1兆7500億円という巨額で買収し、念願だった携帯電話事業への参入を果たしたソフトバンクグループにとって、ポータルサイト「Yahoo! JAPAN」はこれまで以上に重要な存在になっていた。

旧ボーダフォン株式会社を引き継いだソフトバンクモバイル(現在はソフトバンクに社名変更)は、「ヤフーの膨大なコンテンツを活かしたモバイルキャリア」であることを、他社との差別化戦略に使おうとしていたのだ。

ヤフーの各種サービスを、ソフトバンクモバイルに最適化する仕事は一刻を争うものになった。ただそのためにはコンテンツサイドだけでなく、キャリア(ソフトバンクモバイル)側も、それへの対応が必須だ。

新生ソフトバンクモバイルで、インターネットビジネスへ向けて事業構造を改革することが村上の新しい任務になった。

「通信キャリアの社員にモバイルインターネットの意義を伝えるのは大変なことでした。10月1日と予告していた、Yahoo! JAPANのリニューアルもどんどん迫ってくるなか、コンテンツのモバイル化はなかなか進まない。一方でソフトバンクの孫正義社長からは『なんでそんなに遅いんだ』と怒られる。板挟みの中で、2006年の上半期はつらかった」と振り返る。

村上の写真

このままでは間に合わない。危機を救ったのが国際連携だった。村上は米国のYahoo! Inc.にコンテンツをモバイルインターネットに最適化するノウハウがあることを知り、即座に共同開発を打診した。

インド人や中国人を含む多国籍チームが編成され、ものすごいスピードで仕事が進んだ。

「あたかもオープンソースにコミットしあうような開発でした。あの時に助けてもらったインド人技術者は、今は母国で事業を起こしています。今でも交流があり、来日したら必ず会うようにしています」

当時はつらいと思っていたソフトバンクモバイル出向時代にも、こんな得がたい経験はあったのだ。

ポータルサイトのスマホ対応を100人で乗り切る

ソフトバンクモバイルとの協業がうまく回り出したのもつかの間、村上を新たな衝撃が襲うことになる。スマートフォン、iPhoneの登場だ。

「iPhoneに初めて触ったときの驚きは忘れません。ピンチアウト、ピンチインするとにゅるっと画面が動く。人の直感的な操作に追随する初めてのモバイルデバイスでした。ちまたでは『おサイフケータイを搭載してないから、日本じゃ普及しない』という人もいたけれど、私はそのインターフェースに一つの革命的な意義を感じていました」

初代iPhoneは日本では発売されなかった。日本に初登場したのは2008年のiPhone3G。1年間待たされた分だけ、国内ユーザーは熱狂していた。もちろん、その熱狂のるつぼにそれを投入したのはソフトバンクだ。

「Appleとソフトバンクの間で、なんらかの極秘プロジェクトが動いていることはおぼろげながら感づいていました。プレスリリースの1カ月前に、孫社長に呼ばれてそのことを告げられました」

孫社長はそのときiPhoneの実機を操りながら、「ねえ、Yahoo! JAPANのサイト、今はこんなふうに見えるだろ。これって、iPhone対応じゃないよね。どうにかならないかな」とつぶやいたという。

Webサイトのスマートフォン対応が、新たな、そして喫緊の課題になった。村上にとって、新しい仕事というのは、いつでも最優先のタグをつけて唐突にやってくる。

「それからヤフー社内は“iPhone祭り”状態ですよ。各部署から100人かき集めてチームを編成しました。社内の士気を高めるために、孫さんに来てもらって全社員の前で熱烈スピーチをしてもらいました」

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