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2021.07.14

データソリューション事業を立ち上げ、社内の人集めからスタート──ヤフーのデータ戦略を率いる新CDO谷口博基のシゴト観

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ヤフーの各サービスを通して、日々膨大に蓄積されるマルチビッグデータ。ヤフーでは、このデータを活用するための技術開発を進める一方で、その知見を生かした新たな事業構築に取り組んでいます。 それらを陣頭で指揮するのが、CDO(Chief Data Officer)。新CDOの谷口博基は、データソリューション事業本部長を経て、2021年4月に就任しました。今回は、そんな谷口のこれまでのキャリアについて深掘りします。

プロフィール

谷口 博基(たにぐち ひろき)
CDO(Chief Data Officer)
東京大学工学系研究科修了後、マッキンゼー入社。在籍中にカリフォルニア大学バークレー校にてMBA/MOT取得。マッキンゼーではハイテク・製造業を中心に日本企業のグローバル化、提携、買収、新規事業開発、R&D戦略など幅広い案件に関わる。 2013年1月にヤフー入社後は、コーポレート統括本部企業戦略本部総合事業企画室長として株式会社一休の買収、BuzzFeed Japan株式会社設立などを担当。その後、データ&サイエンスソリューション統括本部D&S事業開発室長、データソリューション事業本部長を経て、2021年4月からCDOに就任。
干場 未来子
PD統括本部 コーポレートPD本部 採用企画部
マーケティングソリューション事業で営業、エデュケーション、プロダクトマーケティング、マーケティングチームなどを経て、2016年に人事へ異動し、採用ブランディングを担当。

「ファインマン物理学」を読んで量子コンピューターに憧れた

ヤフーのデータ事業を率いるCDOに今年度から新たに就任した谷口さんは、どんな人なのか。谷口さんのこれまでのキャリアを振り返りながら、人物像をクローズアップしてみたいと思いますので、今日はよろしくお願いします!まずは、ヤフーに入社する前のお話から聞かせてください。

京都大学を卒業後、東京大学の大学院に移りました。専攻は物理学です。高校時代に、物理の好きな学生なら誰でも一度は手にする「ファインマン物理学」を読んで、特に量子コンピューターの話に感激したことをきっかけに、その分野の研究者になりたいと思うようになりました。
量子コンピューターの研究ができるかなと考えて京大を選んだのですが、残念ながら、当時はまだ量子コンピューターの研究者はほとんどいなかったんですよね。
大学時代は塾講師のアルバイトに明け暮れていました。学費は自分で払うと、親と約束していたので。しかしそればかりやっていたのでは、何のために大学に入ったのかわからない。やはり大学院でみっちり研究したいと思い、環境を変えようと、東大の工学系研究科の修士課程に入ります。
これは結果的にとても良かったですね。広く言えば応用物理、特に、計算機を使った磁性体の研究をしていました。論文も発表できましたし、さらにいまの仕事につながる「種」のようなものも意識することができたのです。

▲CDO 谷口 博基

企業の、研究と事業の「距離」を感じたインターンシップ

その「種」というのは何だったんでしょうか?

はい、修士課程の1年の時に、企業のインターンシッププログラムで1カ月半ほどとある電工会社にお世話になりましたが、効率の良い電線を作っている研究所に配属されました。
発電所からオフィスや家庭に電気を届ける送電線って、実は送電の途中で半分ぐらいの量の電気を損失しているのです。電気抵抗で電力が熱に変わってしまうから仕方ないのですが、この送電ロスを避けるための、超電導ケーブルを送電線に使う研究に僕も参加させてもらうことになりました。 幸い良い成果が出て、そのレポートを社内報に掲載してもらうこともできました。
研究者の方たちは、毎日昼休みにご飯を一緒に食べながらいろいろな研究の話をしてくれるのですが、そのなかで少し疑問を感じることがありました。ある研究の話になったとき、「それって、いつごろ事業化されるんですか」と聞くと、「いいんだよ、事業化は。研究者は論文書いて、特許を取ればいいんだから」と返されたのです。 「研究者は研究だけしていればいい、事業化は事業担当者が考えることだ」と。そういった職人気質もとても格好良いと思う一方で、研究だけではどこか物足りないと感じてしまう部分もありました。
工学系の院生は製造業の研究所に就職することが多いのですが、インターンの経験などを通して、ちょっと違う道に行きたいと思うようになったのですね。一つの会社で一つの研究をずっと続けるのももちろん素晴らしいことですが、自分は、市場や社会のニーズをとらえて、研究と事業、あるいは研究と企業経営を結びつけるような仕事をしてみたい。 そう考えるようになって、コンサルタントになろうという結論に至りなりました。そして就職したのが、マッキンゼー・アンド・カンパニーでした。

コンサルタント時代は、泥くさく現場との信頼関係を築いた

インターン先での研究者の方からの言葉で、コンサルティング会社で社会人生活をスタートすることを決めたのですね。マッキンゼーでの仕事はどうでしたか?

工学系の学生は課題を立てて仮説検証するという思考サイクルに慣れていますから、マッキンゼーはそれが生かせる職場だと思って入社したのですが、実際に仮説を立てて分析するという業務は100分の2くらいで、ほとんどはもっと地味で地道な仕事。入社してしばらくは、プレッシャーがきつかったですね。
コンサルタントとして最初の仕事は、豪華クルーズ船の運営会社がアジアに参入するにあたって、どの国から始めるべきかをアドバイスするというプロジェクト。マッキンゼーの各国の拠点からコンサルタントが集まり、日本からは僕一人が参加するというものでした。 学生時代から英語の成績は良かったのでアサインされたのですが、実はヒアリングやスピーキングはやったことがなく全然できませんでした。それでも言うべきことは言わないといけないので、事前に自分の考えを英文で書き出した原稿を一生懸命読み上げていました。 でも質問されても聞き取れないから、質問は受け付けない(笑)。議論を録音しておいて後から何度も聞き返して、なんとか発言の趣旨を理解していました。それはもう、大変でしたね。それでも1〜2カ月もたつと、なんとか議論の流れをつかめるようになりました。

なんと(笑)。その英語力の状態でプロジェクトを乗り切るとは、ものすごく大変でしたよね。そのメンタルタフネスも見越してアサインされたのかもしれないですね(笑)。

その後、別の企業にてコールセンター業務の効率改善に携わりました。あるサービスの申し込みから提供まで2カ月近くかかっていたのですが、これを2週間に縮めることを目標として、この改善を任されました。そこでまずは、なぜいまサービスの提供まで2カ月もかかっているのか、この分析から始めました。 すると、申し込みを受け付ける担当者がお客さんから聞いた情報をメモし忘れたり、そのメモを喫煙所に持っていってそれを置き忘れてしまったりなど、意外とアナログな現場の作業ミスが原因だということがわかってきました。
大学出たての若いコンサルタントですから、顧客視点や経営課題など、教科書通りの正論を振りかざして現場の人を説得しようとしても、全然話を聞いてくれない。「どうしたらいいのだろう」と考え、これは現場の人と仲良くなるしかないと、たばこも吸えないのに喫煙所に行ってみたり、現場の人たちの飲み会に顔を出してみたり、いろいろやりましたね。

とても泥くさい方法で原因分析をしたのですね(笑)。その、足を使って原因を究明していった結果、谷口さんの経験として得られたものもきっとありましたよね。

はい。それを続けるうちに、ようやく「メモは喫煙所に持ち込んではいけない」というルールを現場に浸透させることができました。そんな、泥くさいことばかりやっていました。ただ、仕事は現場の人たちの力で成り立っているし、働いているのは機械ではなく人間なのだからときにミスをするのも当然。当たり前のことですが、それを理解できたという意味で良い経験でしたね。

研究者個人の幸せと会社の事業成長を両立させるには

メーカーの燃料電池プロジェクトにも関わったこともあります。当時、燃料電池の実用化に一番近い位置にいると目されていたのですが、研究所の燃料電池研究がストップすることになったのです。それまでずっと一つの研究を続けてきた研究者たちが、ある日突然他分野の研究テーマに取り組まざるを得なくなったことに衝撃を受けました。 研究者たちは新しいテーマについて門外漢だから、大学の研究室などに通ってイチから勉強せざるを得ない。20代の若手ならまだしも、40〜50代の研究者も同じです。
彼らは第一線の燃料電池研究者だったので、もしこれが欧米だったら研究の機会を求めて別の会社に転職したでしょう。しかし日本はまだ終身雇用という習慣が根強く、労働市場における人材流動性も弱かったのでそうもいかない。これって、研究者にとっても企業にとっても不幸なことなのではないかと考えました。

たしかに15年前くらいのその時代の出来事であると考えると、50代までその研究を続けてきた研究者からしてみたら青天の霹靂ですよね。研究所の燃料電池研究を止めることになった理由は何だったのでしょうか?

研究が途中で中止になったのは、事業側の戦略と合わなかった、つまり、研究開発テーマの事業性評価がきちんと行われていなかったということなのだと思います。せっかく良い技術の芽があったのに、世の中にそれを届けることができないのは残念ですよね。こうしたことを、ほかのプロジェクトでもいくつか経験しました。 そのたびに、研究開発を最適なかたちで事業に結びつけ、研究者や技術者の幸せと、企業としての成長を両立させる仕事がしたいという思いが強くなっていきました。

軽い気持ちで話を聞きに行ったら、社長との採用面接に

では次に、マッキンゼーからヤフーに転職することになったきっかけを教えてください。

▲PD統括本部 コーポレートPD本部 採用企画部 干場 未来子

マッキンゼー時代に会社の支援制度を使って、カリフォルニア大学バークレー校に2年間MBA留学したことがあります。シリコンバレーでいろいろな技術系スタートアップが立ち上がる雰囲気を存分に味わうことができました。
テクノロジーの商用化に関わるスタートアップで仕事をしたこともあります。シリコンバレーでは日本以上にエンジニアが大切にされる。テクノロジー企業の経営トップはほとんどがエンジニア出身です。新技術を世に送り出すエネルギーがすごいですね。このアメリカでの体験も転職のきっかけの一つになりました。

その頃には英語力がだいぶ向上していたんですね!(笑)アメリカでの経験を経て、IT業界に転職しようと考えはじめたのですか?

技術は目に見えないものよりカタチのあるものが好きだったので、最初はインターネットネット系企業よりも、電機メーカーで技術の商用化を担当できるような転職先を探していたのですが、メーカーでの具体的な実績があるわけではない自分がすぐにそんなポジションにつけるわけもない。 そうしたことから方向転換して、インターネット企業で技術力の高い会社を狙うことにしました。そこで考えたのがヤフーだったのです。
ヤフーの技術資産を成しているのは、膨大なユーザー数とビッグデータです。通信キャリアのグループ企業であることも大きな強みだと思いました。ただ、外から見ていて、そのデータを十分活用しきれているのかどうか、よくわからないところがあった。
そこで、マッキンゼーの先輩でもある安宅さん(ヤフーCSO)に、「ちょっと話を聞かせてくれませんか」とメールしました。2012年の夏、ちょうど宮坂学さん(前ヤフー取締役会長、現東京都副知事)が社長に就任した頃ですね。

安宅さんは同じ東大出身、マッキンゼーでの先輩でもありましたね。そこから、どのような流れで、ヤフーに入社することになったのでしょうか。

はい。メールをすると、安宅さんから「一度、宮坂さんと話をしてみない?」と返信をもらったので、会いに行くと、宮坂さんにいきなり「君はなんでヤフーに入りたいの?」と聞かれたのです。僕は単に話を聞くだけだと思っていたのに、宮坂さんは面接だと思っていたようです(笑)。

おっと(笑)ヤフーに入社したいと考えている前提で突如宮坂さんとの面接が始まったんですね(笑)。

はい(笑)。完全にそういう話になっていったので、僕はその流れに乗ったほうが良いのかなと瞬間的に考えて、「ヤフーはデータの利活用にもっと真剣に取り組むべきです」といった話をしました。宮坂さんも「そう思うなら、ぜひうちでやってよ」と軽く答えるんですよね(笑)。
その場には川邊さん(現ヤフー代表取締役社長)も同席していて、僕を見るなり、「勉強ができるのはわかるけど、ヤフーはそれだけじゃできないからさ。結構泥くさい仕事もあるんだよ」みたいなことを言われて。いや、むしろ僕は泥くさい仕事のほうが得意ですから、「やってやろうじゃないか」という気になりました。それで、なんとか面接に合格し、ヤフーに入社することになったというわけです(笑)。

データの価値を事業に生かす余地はまだまだある

では、2013年1月に入社後、当初はたしかコーポレート部門にいらっしゃったと思いますが、最初にどんな仕事に取り組まれましたか。

コーポレート業務の一環として、ホテル・旅館予約の「一休」の買収にあたり、同社のデューデリジェンスを行う案件に関わりました。一休が主に扱っているのは高級な旅館・ホテルです。ヤフーのユーザーから高級志向の顧客を一休に送客すれば、新たな価値が生まれる。そこではユーザーデータの分析がきわめて重要になるわけです。
どのような要件でどのようにデータを分析すれば、事業上の価値が出るか。いまでこそヤフーにはそういうことが簡単に分析できるツールがありますが、当時はそういうものがなかった。
データサイエンス部門もできたばかりで、その役割がいまほど明確ではなかった。社内のデータ連携がまだ十分にできていなかったため、データ側と事業側の間で話のプロトコルがなかなか嚙み合わないんですよ。逆に言えば、その問題さえクリアにできれば、データの価値を事業に生かす余地はまだまだあると感じました。
データ活用には、「内向き」と「外向き」の二つの面があります。「内向き」というのは、社内のデータ連携を強め、データの価値を社内の事業に活用すること。「外向き」は、ヤフーが持つデータの価値を外部に提供し、企業や自治体などの事業活動に生かしてもらうこと。この両面をやっていきたいと思うようになったのです。

そこから、実際にデータ事業に携わるようになったいきさつを教えてください。

「データは事業になる。それを僕にやらせてほしい」と言い続けて、2016年からデータ部門に事業開発本部を作り、本部長に就任しました。とはいえ、最初は僕一人しかいなかった。エンジニアもいない。ヤフーの社内を回って、人を集めることからのスタートです。 この人材集めと事業立ち上げにはかなり時間がかかりました。2019年10月にようやく、ヤフーのビッグデータを活用して企業や自治体の課題解決を支援するサービスを提供する事業、データソリューション事業が始まりました。 そこでは、分析ツールを企業に提供するサブスクリションモデルのサービスと、顧客の課題に基づいてヤフーのアナリストとコンサルタントがチームを組み、オーダーメードな分析・提言を行うサービスの、この二つを主な事業にしています。
ヤフーは「自分がやりたい」と言えば、それが実現できる環境のある会社ですが、もちろんそれらすべては自分一人だけの力でできたわけではありません。前CDOの佐々木潔さん(現Zホールディングス株式会社GCDO)をはじめ、多くの人の支援があったからこそです。 支援してくれそうな人を探し、働きかけ、粘り強く話し続けることは欠かせませんが、それだけの意欲を見せれば、必ず支えてくれる人が現れるのも、ヤフーのいいところだと思います。

まさにヤフーの社風を表したいきさつで、コーポレート部門からデータ事業への異動、組織の立ち上げを果たしたのですね。谷口さんのテクノロジーやデータとの向き合い方だけでなく、人柄までがよくわかるエピソードが聞けました。次回は、ヤフーのデータ戦略をどう進めていくのか、CDOとしての思いや意気込みを伺いたいと思います!

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