ヤフー株式会社は、2023年10月1日にLINEヤフー株式会社になりました。LINEヤフー株式会社のコーポレートサイトはこちらです。
当ページに記載されている情報は、2023年9月30日時点の情報です。

企業情報

2016.08.25

【Yahoo!基金「助成金」の使われ方】新潟中越地震復興の花火を陸前高田のみんなに見せたい

画像

Yahoo!基金事務局の田村です。
岩手県陸前高田市の仮設住宅で暮らす第一中学校仮設自治会のみなさん。8月3日に行われた長岡花火を、東日本大震災直後から交流を続けてきた新潟よろず医療会チーム「ませう」とくらしサポート越後川口の方々と伴に見学されました。
Yahoo!基金は今回、その花火大会の企画に助成しました。みなさんのこれまでの交流について話を伺ってきました。

(第一中学校仮設自治会、新潟よろず医療会 チーム「ませう」、「くらしサポート越後川口」のみなさん。長岡花火大会にて)

「仮設に引っ越したら、来て欲しい。そこからが本当に大変だから」


東日本大震災の発災直後、陸前高田の避難所には多くのボランティアの方が訪れたそうです。

第一中学校仮設自治会事務局の菅野さん:
避難所にいる間は、食べ物や支援物資がくるので生活はできますが、仮設住宅に引っ越した後の方が大変だろうと思ったので、ボランティアのみなさんに「仮設住宅に引っ越してからぜひ来て欲しい」と伝えました。

その言葉を忘れずにいたボランティアたちが、仮設住宅に引っ越した後に新潟県のよろず医療チーム「ませう」を紹介。2012年から交流がはじまりました。

「ませう」の井関さん:
私たちが最初に訪問した際、「家も何もかも流されたけど、杵(きね)と臼だけ残った」という住民の話を聞き、それを使った餅つき大会を企画しました。杵と臼があるなら、米だけ運べばいいので楽だから、と思ったんです。

ふと言った一言が、思いがけず楽しいイベントにつながったそうです。

image

(左から1番目が餅つき大会を企画した井関さん)

「新潟で発生した中越地震の話を聞かせて欲しい。被災者の先輩の話が聞きたい」

 
仮設住宅で暮らす中で、これからの生活がどうなるのか、不安が日増しに大きくなっていったそうです。

「ませう」の代表今井さん:
自治体の方から、「新潟県中越地震で発生した大きな地震の被災者の人たちはどうやって生活を取り戻したのですか? 教えて欲しい」と要望があがりました。ですが、同じ新潟でも、私たちは新潟市なので中越のことはよく分かりません。当時の話を聞ける方はいないかと、つてをたどったところ、NPO法人「くらしサポート越後川口」の水落さんにたどり着きました。

川口町(現長岡市)は中越地震で最大震度7を記録し、全ての町民は避難生活を余儀なくされました。その中で、コミュニティーを再生し、町にはコミュニティーバスを走らせ、暮らしやすい町づくりを実践した中核団体が、「くらしサポート越後川口」です。

- 新潟県よろず医療チーム「ませう」は、地震の発災直後から、自治会の方の声を拾ったきめ細かい支援を行っていますね。なぜこのようなことが継続的にできるのですか?

今井さん: 
陸前高田の第一中学校仮設自治会の方と接していると癒やされる。支援しているという一方的な関係ではなく、こちらも力をもらっているんです。

image

(写真中央が佐藤さん。陸前高田を復興させて若い世代につなぎたいと、中越の事例を熱心に学ぶ)

中越地震の話を聞いたことで、一歩を踏み出そうという気持ちになった

 
「くらしサポート越後川口」副代表の丸山さん:
中越地震の話が聞きたいと言われても、自分たちは津波で流されてはいないし、東日本大震災と状況が違う、本当に役に立つのか分からないと最初は思いました。でも、実際に会ったら、その考えは変わりました。
状況は違っても、大きな災害にあい、避難所生活をする人の気持ちは、経験した人にしか分からないことがあります。陸前高田の人もそう思っていて、他の人には話せなかったことをいろいろ話してくださいました。自分はただ話を聞くだけでしたが、お互いの気持ちが通じ合えたように感じました。

また、このような交流を続ける中で、仮設住宅での暮らしであまり外に出る事ができなかった人などが、それぞれに一歩を踏み出そうという気持ちの変化が現れてきたように思います。

image

(新潟から岩手に戻り小学校の先生をしている、「ませう」の佐藤さん) 


自分は生かされた。だから、この経験を伝えたい


第一中学校仮設自治会事務局の菅野さん:
震災当日は宮古に外出していて、いつもと同じ道を使って帰ろうとしたら、「あの車について行きなさい」という声が聞こえて、予定を変更しました。その直後に、地震があり、津波が襲ってきました。いつもの道を行っていたら、津波にのみ込まれていたと思い、ゾッとしました。
宮古にいたので、家族とは離ればなれ、経験したことがない大きな地震と津波にパニックになりました。その時、地震で被災した友人のことをふと思いだしました。その友人は、発災時に娘さんといて、家族全員が会えたのは3日後だったそうです。
「そうだ、今、一緒にいなくても、3日後には会える」そう思って、陸前高田に向かいました。
普段、何気なく聞いていて忘れてしまったことでも、いざとなった時に思いだされ、自分を導いてくれる。震災を経験して、自分は生かされたんだと思った。だから、自分がそうだったように、この経験を人に伝えることで、1人でも多くの人の役に立ちたいと思っています。

復興のシンボル「フェニックス」花火をみんなに見せたい


「ませう」のメンバーで、岩手県出身で大学時代を新潟で過ごした佐藤さん:
被災地で一歩踏み出そうと気持ちを、より確かなものにしたいと願って、中越地震の被災地、長岡での復興のシンボルである「フェニックス」花火の観覧を企画しました。
長岡の花火大会で夜空いっぱいに広がる花火を見た時、希望が広がるように思えて感動したんです。これをみんなに見せたい、一緒に見て、みんなで元気に復興を目指したいと思いました。

ただ、全てを自治会費から補うことはできなかったため、Yahoo!基金の助成に応募したそうです。

image


(「みんなで長岡に来られたことがうれしい」とあいさつする菅野さん) 

image


  (迷子にならないように、陸前高田の方言が入った旗を目印に花火会場に向かいました)

image


花火が終わった翌日、菅野さんから届いたメールです。
「長岡から陸前高田に戻るバスの中で、おじちゃん、おばちゃんたちは、疲れもみせず花火の唄を歌ったり、『良かった』『楽しかった』と言い話が尽きず、みんなにとって一生の思い出に残る日になりました。
寄付をいただいた皆さんに心から感謝します」

———————

今回、実際にお話をお聞きして、自分の生活を立て直しながらコミュニティーづくりもすることは、相当なエネルギーが必要だと思いました。「ませう」やくらしサポート越後川口のように、継続的に支援してくれる外部の方々がいるからこそ、前向きな気持ちになれるのかもしれないと感じました。

【関連リンク】

第一中学校仮設自治会
NPO法人くらしサポート越後川口

このページの先頭へ