ネパール地震から1年、Yahoo!基金寄付先からの報告

ネパール地震から1年、Yahoo!基金寄付先からの報告

マグニチュード7.8の大地震がネパールで起きたのは、1年前の2015年4月25日。犠牲者は8,500人を超え、ネパール史上最悪の地震被害でした。


(地震直後のネパールのカトマンズ郡コカナ地区の様子)

Yahoo!基金は、発災翌日に緊急募金を立ち上げました。2016年4月現在までに、ネパール大使館をはじめ、復旧・復興に取り組む国際NGO16団体に9,200万円の寄付をおこないました。
今回は、その寄付先のひとつでもある特定非営利活動法人「シャプラニール=市民による海外協力の会(以下、シャプラニール)」の宮原麻季さんに、地震発生後からおこなってきた支援活動について、Yahoo!基金事務局の石川が伺いました。

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(シャプラニール元カトマンズ事務所長の宮原麻季さん)

ネパール地震のとき、現地で被災

- つい先日、ネパールでの任務を終え帰国されたばかりと伺っています。

宮原さん(以下、宮原) :    
2012年11月からネパールの首都カトマンズの事務所長として駐在し、今月帰国しました。ネパールには、JICAの青年海外協力隊だった前職時にも2年間派遣されており、合計5年4カ月駐在したことになります。

- ネパールではどのような事業をされていたのですか?

宮原:
カトマンズ盆地内の児童労働の予防削減事業、チトワン郡で洪水対策として住民の能力強化を通じた防災事業を、現地のNGOとパートナーシップを組んで手掛けていました。

- 2015年4月25日の地震当日もカトマンズにいらっしゃったと聞いています。そのときの状況を教えてください。

宮原:
私は、タメル地区という観光客の多い地区で買い物をしていました。大きな揺れとともに、棚から商品がすべて落ちてきて、2、3件隣の家は崩れ落ちていました。多くの人たちが屋外に飛び出してきたのですが、裸足のままだったり、下着姿だったり……。最初は何が起きたのか理解できず、呆然(ぼうぜん)としている人が多かったです。その後、オープンスペースを求めて人々が移動し、幹線道路の真ん中にも人が集まり始めました。

電話がつながらない、テレビも映らない……ラジオだけが唯一の情報源でした。ただ、届く情報は断片的で地方がどうなっているのかなどわからず、不安だけが募っていきました。余震が続いていたので、家に戻ることもできない状況でした。

私は、知人が病院に搬送されたので見舞いに行ったのですが、建物の中は危険なため全員屋外で治療が行われていて、けが人は「トリアージ(※)」のタグを付けられ順番を待っている状況でした。最初はガラスなどによるけが人が多かったのですが、次第に運ばれてくる死亡者の数が増えていきました。

※トリアージ : 災害や事故などで同時発生した大量の負傷者を治療する際、負傷者に治療の優先順位を設定する作業のこと。(「大辞林 第三版」より)

- 首都カトマンズの町の被害はどのような状況だったのでしょうか?

宮原: 
損壊した建物の多くは、カトマンズに古くから住むネワール民族の伝統的な煉瓦造りの家が多かったんです。幹線道路から一歩奥に入った旧市街地は古い建造物が多く、被害が目立っていた印象です。都市部でも表通りより奥の裏通りの方が被害が大きい、都市部より地方部のほうが被害が大きいというように、奥へ奥へ行くほど被害がひどくなっていました。

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(地震直後のヌワコット郡の様子)

- 今回のネパール地震では、被害の全容がつかめないという話を良く耳にしたのですが、それは今お話を伺ったようなことが背景としてあるのでしょうか?

宮原:
はい。それからもうひとつ、ネパールは住民票がきちんと整備されていません。誰がどこに住んでいるのか、何人住んでいるのかといったことすら、正確にはつかみづらい。また、それを調べる人も限られているため、結果として被害の全容がわからないという状況を生んだようです。

発災翌日からのシャプラニールの緊急救援活動

- シャプラニールの支援活動は、どういったタイミングで動き始めたのですか?

宮原:
東京では発災直後から情報収集に動き始め、翌日には緊急救援活動を決定しました。ただ、電話事情や停電の影響から、カトマンズから東京へは直接連絡が取りづらい日々が続きました。バングラデシュの首都ダッカの事務所には連絡が取れたので、ダッカ経由で生存を伝えられた状況でした。

- 大変な状況だったのですね。そんな中、緊急救援活動はどんなことに取り組まれたのですか?

宮原:
食糧、医薬品、毛布の配布をまず手掛けました。カトマンズの空港が閉鎖された場合を想定して、インドからネパール南部に入るチームと、カトマンズから支援をするチームの二つを編成し、物資の配布をおこないました。

配布物資は、一般的に必要だと思われる乾物類、ビスケット類、粉末ドリンク、チウラ(お米を蒸して干して乾かしたネパールの乾燥米)に加え、被災者が調理できる環境にあることを確認できたため、彼らの国民食である「ダルバート」の材料となる米、ダルと呼ばれる豆などを支援物資に加えました。

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(米、インスタントラーメン、ビスケットなどの支援物資)

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(ネパールの乾燥米、チウラ)

宮原: 
その後、地方の被災状況が分かってきて、地方向け支援も進めました。
さらに、現地の方々のニーズに沿った支援方法として、フードクーポンの配布というアイデアに行き着きました。これは、指定したお店にクーポンを持っていくと食料品などと交換できる仕組みです。
時間と共に変化していくニーズにうまく応えた支援の仕組みが構築できました。配布したクーポンはすべて利用されたという結果も出て、現地にうまく受け入れられた支援だったと思います。 

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(カトマンズ郡にて緊急救援物資を地域の人に手渡す様子。左は宮原さん)

支援活動は、「食」から「住」へ

- 食料などの緊急救援活動が一段落した後は、どのような支援に取り組まれたのですか?

宮原:
衣食住でいう「住」の部分です。ビニールシートでの避難生活の中、これから雨期を迎えようという時期でした。トタン板の配布を急いで住環境の改善に努めました。

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(被災地の女性から避難生活の状況を聞き取る様子。右は宮原さん)

宮原: 
一方で、今回の地震で土地を失ってしまった住民がいるという課題が大きく浮かび上がってきました。土砂崩れなどで土地そのものが無くなったり、移住を強いられた住民や集落が多くあります。このため、チトワン郡では、生活再建支援として仮設住宅の建設にも取り組んでいました。
こういった住民の多くは農業を営んでいたのですが、農地も失われて新たな生活の糧を見つけなければならないため、住民にミシンや鍛冶道具などを提供して新たな生活の再建を支援しました。

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(バクタプール郡の公立学校。いまだに仮設教室を使用しているそうです)

これからのシャプラニールの復興活動

- 支援のフェーズが緊急救援から復興活動に移り変わる中で、役割を終えて帰国するNGO団体も多数あるかと思います。
一方シャプラニールは、カトマンズに事務所があり、今後も復興活動に取り組まれていくとのこと。その中のひとつに防災教育への取り組みがあるとお聞きしましたが。

宮原:
地震や災害後に原状回復を行うのではなく、元よりも少し良い形に改善して復興する考え方があります。シャプラニールの取り組みもまさにこの考え方です。

私たちの強みはコミュニティー開発にあります。人と人とのつながりや人とコミュニティーのつながりの中で、防災を考えていく取り組みです。

個人がその地域のリスクを知ること、そのリスクをコミュニティーの中で共有すること、また、コミュニティーの中で助け合う仕組みを作っておくことで、そのリスクを回避するのです。そうすることで、たとえ脆弱(ぜいじゃく)な家屋であったとしても助かる命は増えるかもしれない。
逆に立派な建物であってもコミュニティが脆弱だと支援から取り残されてしまう人が出て命の危険が及ぶかもしれない。そのため、地域として防災力を高めていく事業に取り組んでいます。

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(トタン板の仮設住宅での生活が続く。屋内は寒いため、屋外で日光浴をする女性の姿も)

日本にいる私たちにもできる支援とは

- 日本にいる私たちが今からでもできる支援にはどんなことがあるでしょうか?

宮原:
「ネパールを忘れないで欲しい」ということですね。ニュースではあまり報道されなくなってしまったかもしれませんが、私たちのように現地に根を下ろして活動している団体は、絶えず情報発信をしています。

今のネパールがどうなっているのか知って欲しいし、広めて欲しい。

「誰かが見てくれている」というのが、ネパールの人たちにとっての希望へとつながっています。

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 (「ネパールは観光立国。一部まだ地震の被害が残っている場所もありますが、カトマンズ市内はほとんどのホテルが営業していますし、観光客は戻ってきているようです」と宮原さん)

(現地写真提供:シャプラニール)


【関連リンク】
認定特定非営利活動法人「シャプラニール=市民による海外協力の会」
【Yahoo!基金】ネパール地震被害緊急支援募金(2016年4月30日まで)
Yahoo!基金